京都 吉田神社

さざれ石物語

祈りの街である京都には、街中から入り組んだ露地の奥に、さらに周囲の山間にまで数千の寺社仏閣が立ち並ぶ。

哲学の道から西へおよそ30分ほどゆっくりと歩くと、吉田山の木立の中に吉田神社がある。

吉田神社は平安時代、藤原家の氏神として隆盛を誇った社である。

さらにその後吉田神道を興すに及んで、日本全国の神社に神位を授ける任免権を授かり、日本の神道界の核心的な権勢を得てきた。

ここの境内には日本の国家「君が代」にも詠われる「さざれ石」が祀られている。

平安朝時代、一人の木地師がいた。

木地師とは、ぶなや樫などの木で椀などをこしらえる木工職人のことである。

この男、文徳天皇の皇子惟喬親王(これたかしんのう)に仕えていたくらいで、結構腕が立った。

この木地師、岐阜県春日村の君が畑に住む。

あるとき、京都と村を往復した道中に、渓流に山積するさざれ石を見た。

その荘厳さに心を打たれ歌を詠んだ。

わが君は千代に八千代にさざれ石の 巌となりて苔のむすまで

最初は「詠み人知らず」扱いだった。

それが、この歌があまりに素晴らしいと評判になり、やがてその「石」にちなんで、藤原朝臣石位左衛門(ふじわらのあそんいしいざえもん)という名前を与えられたということである。

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