京都「六角堂」

聖徳太子の夢

京都の市内を東西南北に走る通りには、その名前の覚え方がある。

たとえば京都で一番賑わう、御池通から四条通までの間の東西に走る通り。

これは北から順に「姉三六角蛸錦(あねさんろっかくたこにしき)」となる。

 姉小路通、三条通、六角通、蛸薬師通、錦小路通。

その一つ、六角通はその路傍に立つ六角堂に由来する。

 烏丸通から六角通へ右に折れるとすぐ左側に、この六角堂は在る。

私が訪れたのは、冬もそろそろ終わろうかという如月半ばの晴れた朝であった。

門をくぐると本堂に向かって右脇にしだれ桜が見える。

その細い枝先には小さく未だ固い芽が春への焦がれをみなぎらせている。 

 この六角堂は正式には寺号を紫雲山頂法寺という。

創建は聖徳子だ。

聖徳太子は敏達天皇三年(西暦574年)、当時の豪族蘇我氏一族の間に生まれた。

幼名を厩戸(うまやど)皇子といった。

聖徳太子という名前は後世に付けられたものである。

当時の世にあっては近親結婚は、特に権力者間の政略結婚には顕著にみられるものだ。

皇子の両親もそうであった。

それが理由かどうかは不明だが厩戸皇子、幼少からすでに天才的で、仏法を学んで難しい経典も諳んじていたという。

その非凡さは常に周囲の驚嘆の的であった。

 ある時、淡路島の海岸の洞窟で遊んでいた子供たちが、波に揺られ岩にごつんごつんと打ち当っている唐櫃(からびつ)に気付いた。

村に持ち帰り長老達が開けて見ると中から一寸八分(凡そ6センチ)ほどの小さな黄金の如意輪観音像が出てきた。

その像はあまりに見事な像だったので献上品として天皇の手元にまで上がっていった。 

すでに皇太子となっていた厩戸皇子に推古天皇は、

「皇太子、そなたはよく仏法の学習に励んでおられますね。私からの贈り物です。これを差し上げましょう。」

とその小さな仏像を手渡した。

 受けた瞬間、皇子の身体を微かな、しかしはっきりとした感触の衝撃が走った。

皇子はこの観音像を念持仏として首から下げ肌身離さず持ち歩くこととなった。

 さて、当時の日本社会は神道と、大陸から渡来してきたばかりの新興宗教、仏教に宗教勢力が二分されていた。

政治権力に宗教が絡まるのはいつの世も同じことである。

政敵の物部守屋両氏は廃仏派でもあり、聖徳太子派とついに戦となった。

当初は優勢に見えた太子派も物部勢の老獪な戦術に押し込まれている。

このままでは数多の犠牲と共に敗残せざるを得ない。

太子は首に掛けた小袋から如意輪観音像を取り出し掌に乗せると、

「観音様。仏の道を閉ざそうとする物部守屋の討伐のため、なにとぞ武運を我が軍に賜りますように。勝利の暁には四天王寺を建立し祀ります。」

と魂の言霊を捧げた。

するとどうだろう。忽ちのうちに形勢は大逆転、大将守屋氏は全身に矢を打ち込まれ射殺された。

物部軍は敗走しかつては大豪族であった物部氏は没落した。

戦勝誓願の約束を果たすために太子は用明天皇2年(587年)、大阪四天王寺建立のための用材を求めて小野妹子と共に京都へと赴いた。

当時の京都は杉やヒノキなどの原生林が鬱蒼と茂る地であった。

太子は、

「ひたすら歩き通しで汗ばんだ。身体を洗おうか。」

と思い、差し掛かった泉で沐浴をすることにした。

「妹子、そちも汗を流さぬか。気持ちよいぞ。」

妹子も続いて泉に入る。

さて上がろうかと、衣を着て最後に、枝に架けておいた如意輪観音像の袋を取ろうとすると、これが枝から外れない。

「妹子、私の念持仏が枝から外れなくなってしまった。明日また取りに戻ろう。」

その夜のことである。

近くの小屋に泊り寝た太子の夢枕に如意輪観音が立った。

「厩戸皇子よ。我はそちの前世から守り本尊であった。しかし既に七世が過ぎた。これからは我は民衆の救済のためにこの地に留まりたいのだ。」

と告げると、やがてその光は消えた。

翌朝太子は妹子にその夢のことを告げ、その泉の畔に御堂を建てることにした。

するとそこへ老人がとぼとぼと歩いてくる。

この在所の住人だろうと思い、太子はその老人に、

「翁よ。この辺りに御堂を建てるにふさわしい木があるところを知りませんか。」

と尋ねた。

「お堂ですか。ああ、それならこの道を登って行った丘にありますよ。大きな杉の木です。朝に紫の雲がかかる霊木です。」

といって、翁はその方向を指さした。

その霊木を用いて建立されたお堂が今日、京都の人たちには六角さんと呼ばれ親しまれている六角堂なのである。

ところでこの六角堂にはもう一つ重要なエピソードがある。

この僧坊の寺号は、聖徳太子が沐浴をした池にちなんで「池坊」とされた。

小野妹子は後に入道(仏門に入ること)し六角堂の寺主となる。

その後、代々池坊の僧は護持仏の如意輪観音に花を供えることが住持となったのである。

これが今日の生け花池坊流に繋がっているのだ。

本堂の天井から下がる大きな提灯の下で線香を焚き拝む。

願うのではない。

日々つつがなく生かされていることに感謝の言葉を述べるに留めるのだ。

本来、拝むとはかくあるべきだと思っている。

思いを念ずる知恵を授けよう。そしてその思いへと踏み出す勇気も興そう。

自分の身体の中深くから話しかけてくる声を聞いた気がした。

その声はしみじみと伝わってくる。

境内に漂う冬のかすかな匂いを確かめて、私は六角堂を後に京都の街へと歩き出した。

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